Episode-003:再エネは「善」なのか?[メガソーラー構想]
とても核心的な問いですね。
「再エネは〈善〉なのか?」――これは技術論ではなく、価値と倫理の問題です。
結論から言うと、
再エネは“自動的に善”ではない。
善にも悪にもなりうる「手段」にすぎない。
以下、整理します。
1. なぜ「再エネ=善」と語られてきたのか
大義名分
- 地球温暖化対策
- 脱炭素
- 原発依存からの脱却
- 未来世代のため
これらは確かに正義性の高い目的です。
そのため再エネは、
「反対=環境破壊者・時代遅れ」
という道徳的無敵ポジションを得ました。
2. しかし「善」は条件付きでしか成立しない
哲学的に言えば、
目的が正しくても、手段が不正なら善ではない。
再エネが「善でなくなる瞬間」
- 🌲 森林を破壊して設置される
- 🏘 住民の合意がない
- 💰 利益が地域に還元されない
- 🌧 災害リスクを高める
- 🔌 作っても使えず捨てられる電気
- 🌏 グローバル正義がローカル犠牲の上に成り立つ
この時点でそれは、
「環境の名を借りた暴力」
になります。
3. 再エネを「善」に見せた構造的問題
① 数値目標主義
- CO₂削減量
- 導入容量(GW)
➡️
人・自然・文化が指標から消えた
② 金融資本との結合
- FITによる確定利回り
- 投資商品化
- 外資参入
➡️
善の仮面をかぶった資本論理
③ 「科学」を盾にした排除
- 専門家でない者は口出し不可
- 感情・生活感覚は「非合理」
➡️
民主主義の後退
4. 善かどうかを分ける「基準」
再エネが善である条件は、少なくとも以下を満たす必要があります。
善になる再エネ
- 地域合意がある
- 既存インフラの活用(屋根・駐車場など)
- 地産地消
- 利益が地域に循環
- 災害リスクを下げる
- 長期的に管理責任が明確
善でなくなる再エネ
- 山林・水源地破壊
- 地域が決定権を持たない
- 利益は外へ流出
- 壊れたら放置
- 「脱炭素だから仕方ない」で押し切る
5. 善悪二元論ではなく「関係倫理」
本質はここです。
再エネは
「どこで、誰が、誰のために、どう作り、どう使うか」
で善悪が決まる。
つまり、
- 再エネそのものに善悪はない
- 人間の設計思想が善悪を決める
6. 文明論的に見ると
近代文明はずっと、
- 自然=資源
- 技術=支配
という前提で動いてきました。
再エネもその延長で使えば、
化石燃料と同じ暴力性を持ちます。
逆に、
- 自然と折り合う
- 足るを知る
- 分散・小規模
- 地域主権
という思想で使えば、
初めて**「善に近づく」**。
7. この問いが突きつけるもの
「再エネは善か?」という問いは、
- 技術の問題ではない
- CO₂の問題だけでもない
👉
「私たちは、どんな社会を選ぶのか?」
という問いです。
もし次に進むなら、
- ⚖️「正義」を振りかざす政策の危うさ
- 🏘 地域主権型エネルギーの具体像
- 🔮 日本人の自然観と再エネの相性
- 🌏 グローバル倫理 vs ローカル倫理
どこを深めますか?
このテーマ、かなり深いところに来ています。
