Episode-002:日本政府は裏でどう動いたか[日章丸事件とは]
🇯🇵 日章丸事件で日本政府は裏でどう動いたか
1953年の 日章丸事件。
主役は 出光興産 と
創業者 出光佐三 ですが、
水面下では日本政府も相当神経を使っていました。
当時の首相は
吉田茂。
① 表向き:中立を装う
日本政府の公式姿勢は一貫して
「民間企業の商取引であり、政府は関与しない」
という立場。
なぜか?
- 日本はまだ占領終了直後(1952年主権回復)
- 英米との関係は安全保障の生命線
- 石油の大半は英米メジャー依存
つまり政府が全面支援すると
英米との外交衝突になりかねなかった。
② 裏側:止めはしなかった
しかし重要なのはここ。
政府は
- 出光を公式に支援しない
- だが止めもしない
という“黙認”戦略を取ったとされます。
もし本気で止めるなら
- 外為許可を出さない
- 入港を拒否する
- 行政指導で撤回させる
いくらでも手はあった。
それをしなかった。
これは事実上の
静かなゴーサインに近い。
③ 裁判での距離感
英国は東京地裁に仮処分を申し立てました。
ここでも政府は
- 司法の独立を尊重する立場を強調
- 直接介入はしない
結果、裁判所は
「違法ではない」と判断。
政府は“表に出ずに結果を受け入れる”形に。
④ なぜ止めなかったのか?
理由は3つ。
1️⃣ エネルギー安全保障
戦後日本は深刻な石油不足。
安価なイラン原油は魅力的だった。
2️⃣ 外資メジャー依存からの脱却
このままでは価格も供給も握られ続ける。
3️⃣ 主権国家としての試金石
サンフランシスコ講和後の日本が
どこまで自主判断できるか。
当時の吉田政権は親米でしたが、
“全面従属”ではなかった。
🔎 結論
日本政府は
- 公には距離を置き
- 裏では黙認し
- 成功すれば成果を享受する
という極めて現実的な対応を取りました。
これは今で言えば
「政府は関与していない(と言う)」
でも戦略的には利益を取る
という高度なバランス外交。
もっと踏み込んで、
- GHQや米国はどう見ていたのか
- CIAとイラン政変との関係
- 吉田外交の本質
どこまで深掘りますか?
