Episode-005:GHQや米国はどう見ていたのか[日章丸事件とは]
🇺🇸 GHQや米国は日章丸事件をどう見ていたのか
結論から言うと――
**公には距離を取りつつ、内心では“複雑”**でした。
当時の出来事は
出光興産 の
日章丸 によるイラン原油輸入(1953年)。
① まず前提:GHQはもういない
重要なのは時期です。
- 1952年4月:サンフランシスコ講和条約発効
- GHQ(連合国軍総司令部)は解体
つまり1953年当時、
日本は形式上は主権回復後。
直接命令する立場ではありませんでした。
② 米国の立場は「英国ほど怒っていない」
イラン国有化問題では、
- 英国は全面対決姿勢
- 米国はやや距離を取る
当初の米国は
「英国の強硬策は逆効果」とも見ていました。
ただし状況は変わります。
1953年、CIAが関与したとされるクーデターで
首相
モハンマド・モサッデク
が失脚。
ここから米国はイラン石油の再編に関与します。
③ 米国の本音
米国の関心は3つ。
1️⃣ 共産主義拡大の阻止
冷戦真っただ中。
イランがソ連側に傾くことを最も恐れていました。
2️⃣ 中東安定
中東の混乱はエネルギー市場全体を揺らす。
3️⃣ 同盟管理
日本が独自外交を広げると、
同盟の足並みが乱れる可能性。
④ 日本への対応
米国は英国ほど強硬ではなかったが、
- 露骨な支援もしない
- 公的には中立
- 裏では状況を注視
というスタンス。
日本がイラン原油を買っても、
それが共産圏強化につながらなければ
容認できる範囲と見ていた節があります。
⑤ 実は“試験ケース”だった
日章丸事件は、
主権回復後の日本がどこまで自律できるか
のテストでもありました。
当時の首相
吉田茂
は親米路線でしたが、
全面従属ではなかった。
米国にとっては
- 「制御不能ではない」
- 「しかし注意は必要」
という評価だったと考えられます。
🔎 本質
英国は「経済的・帝国的怒り」。
米国は「冷戦的安定重視」。
日本の行動は
米英の温度差の隙間で成立した。
さらに踏み込むなら:
- CIAとイラン政変の具体像
- もし米国が本気で止めていたらどうなったか
- 現代の対ロシア制裁と比較
どの方向に進めますか?
