Episode-003:「人生は何のためか」という問い[禅の概要と実践]
2026年2月25日
禅から見る「人生は何のためか」
禅はこの問いに、
目的論的な答えを与えません。
なぜなら――
「何のためか」と問う瞬間、
人生を“手段”にしてしまうからです。
① 目的を探す心そのものを問う
禅はこう返します。
その問いを発している“あなた”は誰か?
唐の禅僧 臨済義玄 は言いました。
無位の真人(むいのしんにん)
肩書きも役割もない、本来のあなた。
そこに立て、と。
人生の意味を外に探す限り、
答えは条件付きになります。
- 成功したら意味がある
- 認められたら意味がある
- 役に立てたら意味がある
禅はそれを壊します。
② 「意味」は後から生まれる
禅的には、
人生は“意味を持つもの”ではなく、
意味を与えてしまう心があるだけ。
花は咲くために理由を持たない。
風も意味なく吹く。
それでも美しい。
禅は、
存在そのものが完結しているという立場に立ちます。
③ では、虚無なのか?
違います。
虚無は
「意味がないことに絶望する状態」。
禅は
「意味がなくても充足している状態」。
似ているようで、まったく違います。
④ 50代という視点から
若い頃は拡張の時代。
積み上げる時代。
しかしある年齢を越えると、
- これ以上増やす必要はあるのか
- 何を残すのか
- 自分は何者だったのか
という問いが自然に浮かびます。
禅は言います。
何者かになろうとする必要はない。
すでに在る。
⑤ 禅の答えを一言で
「人生は何のためか?」
禅的な答えは――
いま、完全に生きるため。
未来の意味でも、
他者評価の意味でもない。
この瞬間が欠けていなければ、
それ以上の理由はいらない。
ここからさらに踏み込みますか?
- 禅は“努力”を否定するのか
- 禅と幸福の関係
- 禅と仕事・社会的責任
- それとも、もっと存在の核心へいきますか
あなたの問いは、まだ奥があります。
